【乳がん】がん患者の記憶

自分が乳がんを患っていることが確定したとき

「がん」は不治の病、死に至る病ということが

すぐ頭に浮かんだせいでしょう。

がんで亡くなった方を数人思い出しました。

最初に頭に浮かんだのは、小学生のときの同級生のお母さんでした。

仲良くしていて、家の行き来もしょっちゅうしていたT君のお母さん。

小学校4年生か、5年生のころですから、当時の私は10歳前後。

その同級生のお母さんですから、おそらく30代後半~40歳前後だったのではないでしょうか。

とてもきれいなお母さんだったことを覚えています。

当時は、医療の限界が今よりずっと手前にあって

がんが見つかったときは、すでに手遅れで

発病から、亡くなるまでがあっという間だったと聞きました。

お通夜やお葬式の様子を、参列した母から聞いて

当時は、仲良しのT君がかわいそうでなりませんでした。

その後、私は引っ越してしまい、T君との友達づきあいも

そのとき途絶えたままで、今どうしているかはわかりません。

自分がT君のお母さんをはるかに追い越す年齢になって、がんになり

T君のお母さんのことを思い出したとき、

最初に考えたのはT君のことではなく

T君のお母さんが、どんなにか無念だっただろう、ということでした。

小さな子供を置いて逝かなければいけなかった母親の気持ちは

当時の私には推し量ることができないものでした。

親になって、初めてわかることは山ほどあって

この世でいちばんかわいそうな人は、子どもに先立たれるお母さん。

その次にかわいそうなのは、子どもにおなか一杯食べさせてあげられないお母さん。

そんなことを考えるようになりました。

小さな子供を置いていかなければいけないお母さんの悲しみは、

自分が、がんになるまで、具体的に想像したことがありませんでした。

それがわかったから、どうだということではありませんが

もしも、私の身近にがんを患っている若いお母さんがいたら

自分もがんですが、できる限り手助けをしてあげたいなと、思っています。

実際には、友人、知人ゼロなので、そういう知り合いは今のところ皆無です。

コロナ禍で、中断しているらしい

病院が主催しているがん患者の集まりが再開したら

行ってみたいと思っています。

人とかかわるのが嫌いな私にしては、珍しい感情ですが

この集まりは、おそらく自分に必要なんだろうなと思っています。

そんなときがきたら

そこに参加できたら

そこで知り合いができたら

何を感じ、何をするのか、今はわかりませんが

そうなる日が、来てほしいと思っています。

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カテゴリー: 乳がん

作成者: ギリギリchop

1964年生まれ 専業主婦です。 同居家族は4歳年上の夫。 多発性骨転移あり、ステージ4の乳がん治療中ですが、あつ森で楽しく遊ぶ毎日です。 あつ森の活動は、YouTube動画にもしています。 〈夢番地〉 メイン島=Bz島(とう) 4235-3076-8158  サブ島=あいのバクダン島(じま) 6602-5444-4994

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