きのうの記事で、応援してくれている家族のために、父の年齢を越えたいと書きました。
根源的な話になりますが、がんによらず、放置すれば高確率で死に至る病になった人の多くが
死にたくないから、治療を受けているわけです。
「もう、いいや」と、緩和ケアだけを望む人も、もちろんいるでしょう。
理由は人それぞれでしょうけれど、私自身は、延命治療を受けています。
「家族のため」と一言でまとめれば簡単ですが、そこには奥深い世界があることを感じます。
家族を悲しませ、がっかりさせたくないという動機は、とても大きくて
そのためなら、抗がん剤の副作用で髪が抜けてなくなってしまっても、肌がボロボロになって黒ずんでしまっても
手先がしびれたり、どうしようもない倦怠感が続いていたりしても
痩せこけて、みじめな姿になっても、「生きているだけでいいよ」と、思えます。
生きていることを喜んでくれる人がいるから、どんな自分であっても、生きていたいと思えます。
今は、ありがたいことに目立った副作用はなく、外見的にも体調的にも病人とは思えないところまで回復しています。
今後、またつらい治療が始まることもあるでしょう。
そのときは、外見だってまた、めちゃくちゃになってしまうかもしれませんし、だるさとか、激しい体調の不具合もあるかもしれません。
でも、きっと耐えられると思います。
「生きているだけで、いい」と言ってくれる人の存在は、本当に大きくありがたいですね。
それがわかったことは、病気になって得たものと言えるでしょう。
だからって、「キャンサーギフトだ!」と、ありがたがったりはしませんよ。
病気にならずにすむなら、それがいちばんですからね。(笑)