ここ数年「終活」なるワードをよく耳にするようになりました。
乳がんのステージ4と告知されたとき、さすがに「もう長くは生きられないのかな」と思いました。
そのとき、いちばん最初に思ったことの中に「生きているあいだに、あと何冊本が読めるかなあ?」ということが、ありました。
のんきすぎますが、家族へどう言おうかとか、今後どうなるんだろう?とか
シビアなことを考えつつも、こんなどうでもいいことを考えているのですから、人間というのは不思議な生き物だと感じます。
当時はまだ、あつ森を始めていませんでしたから、日がな一日本を読んで過ごしていました。
買っていては破産してしまいますから、読む本の98%以上を図書館で借りていました。
そういう状態で告知されたあと、すぐに本を買いました。
少ししかないとはいえ、貯金がありますので、それを「生きているあいだに使わないと!」と、思ったことをよく覚えています。
治療が始まり、経過が順調だったため、長期的展望を持って人生について考えられるようになりました。
ですから、終活には、たいして熱心に取り組んでいませんが、夫が定年退職したこともあり
乳がんという病気に関係なく、お墓のことやお葬式のことを話す機会が増えました。
まだ、具体的に何も決まっていませんが、夫には「直葬」をお願いしてあります。
(できれば病院で)最期を迎えたら、そのまま火葬場に直行してほしい、ということです。
お通夜もお葬式も戒名もいらないので、ただ焼いてほしい。
コロナでそういうお葬式が増えたことが、よいきっかけになりました。
まだ先のつもりでいますが、そういうお葬式がいいなあと、思っています。
長く、がんの治療をした身で許されるなら、献体も考えていますが、これは残った家族に抵抗があるかもしれないので、まだ話していません。
医療のお世話になっていますので、返せるものがあるなら・・・と、漠然と考えていますが、どうなるでしょうか。