もうすぐ、桜(ソメイヨシノ)が咲く季節ですね。
通っている病院に向かう道に、みごとな桜並木があります。
病院がある場所は、30〜40代のころ仕事でよく行っていたところなので、当時はその桜を電車の中から見ていました。
きれいだなあ、ここでゆっくりお花見してみたいなあ、などと思っていたものでした。
その後、二十年近く経って、同じ地にがん治療のため通うことになるとは、思ってもみませんでした。
年月を経ても、春になると桜はみごとに花を咲かせます。
去年、おととしと、桜並木を通って病院に向かったはずなんですが、あまり記憶に残っていません。
働いていたころ、桜を見るのが好きでした。
勤務地の近くには、病院近くとは別の桜の名所があったので、桜が咲いている期間は、時間を無理やり作ってお花見をしていました。
きれいな桜を見ていると、涙が出てくることもしばしばありました。
悲しいほどきれいって、こういうのを言うんだなーと、思ったことをよく覚えています。
当時の私は、必死に働いていて、精神的なゆとりがまったくありませんでした。
春に咲く桜に、一年中のエネルギーをもらうような気持ちで、意欲的にお花見をしていました。
ぎりぎりのところで、ふんばって生きていたころ、心がすり減っていて、メンタルがかなりやられていたという自覚がありました。
精神科受診を本気で考えていたものの、病院に行く時間なんて、まったくありませんでした。
今、振り返ってみると桜を見て泣くって、どうかしてますよね。
精神が不安定すぎたんでしょうね。
今、がんという病気にかかっていますが、当時のような悲壮感がまったくありません。
病気になったことは、ちっともよくありませんが、気持ちが落ち着いていたときの発病で、よかったと思います。
当時の発病だったら、これで現実から逃げられる!と、考えてしまって、生きることに意欲を持つことは、なかったでしょう。
桜を見て、泣くほど感動することがなくなった暮らしのほうが、ずっと幸せです。
今年もきっと、桜を見ても「きれいね」ぐらいで、特に何も感じず、行って帰ってくるような気がしています。