近所のいくつかの神社で、盆踊りが開催される季節になりました。
私が育った家では、お盆に何かをするという習慣がありませんでした。
お盆=先祖の供養をする期間ですが、そもそも、お墓参りすらしたことがないまま大人になりました。
特殊といえば、特殊な家庭環境だったのだと、長じてから気づきました。
そのような成育歴のせいか、輪廻転生をまったく信じていません。
お盆にご先祖さまがかえってくる、というのも同様です。
命あるものは、いずれその終わりを迎えるわけですが、世界各国に、死後の世界にまつわる伝承や宗教がありますので、人という生き物は、死んだあとどうなるかが気になって仕方がない生き物なのだろうと思います。
私は、死んだら意識も消滅して終わりだと、なんとなく思っています。
「千の風になって」という歌は、非常に共感します。
「そこ(お墓)に私はいません」というのは、まさにそうだと感じています。
がんにかかっているから、というわけではなく、たまに夫とお墓の話をします。
まだ、我々夫婦が入るお墓の用意ができていませんので、それをどうするかという話です。
私は、樹木葬、それも1本の木を自分の木とするのではなく、共同で使う形式のほうでいいんじゃない?と、考えています。
そのほうがお安くすみますからね。
お墓参りって、まったくイメージがわかないので、私がお墓に入ったあと、誰か(たぶん息子)に参ってもらうって、ピンときません。
きっと、来ないでしょうから、どこにどう葬られようがどうでもよい話だと思っています。
国が政策として、墓地をどうにかしてもらえると、考えずにすむので助かるんですけどね。