このあと、思い知るのですが
抗がん剤治療は、エグいですw
その治療に耐える動機付けは
自分が生きたいから!じゃなければ
やってられねーよ、と投げ出してしまいたくなるでしょうね。
H先生に
あなたがしっかりしなくちゃ!と言われるまで
私は死ぬことを覚悟した患者でした。
死ぬなら死ぬでしょうがないか。
そう思っていたのは確かですし、死への恐怖もありませんでした。
そして、死ぬとしても、特にやり残したことはないし
思い残すこともないから、もういいか。(貯金は使い切りたいけど!)
と、あきらめてしまっていたところもありました。
でも、家族の悲嘆もありましたし
今現在、幸せに暮らしているのだから
死んでしまいたいわけじゃない。
だから、まじめに患者をやろうと、思ってはいて
積極的に治療を受ける気は満々でした。
でも、闘志がまったくたりていませんでした。
「死にたくない」
もっと、積極的に「生きたい」と願い
患者として、できることはなんでもやって
何がなんでも生き延びてやるという闘志をもつことは
治療を施してくれる医師への最低限の誠意です。
だというのに、当時の私はそういう闘志に乏しい姿勢が丸見えな患者で
H先生からカツをいれられたのでしょう。
このとき、がん患者になった自覚を持てたことは
その後の治療に必要なことだったと、後になればなるほど思い知ることになります。
がんは、甘っちょろい患者が太刀打ちできる病気ではありませんし
生半可な気持ちで立ち向かったところで、かなう相手ではない、という
当たり前のことを考えみたこともなかったのは
まあ、仕方ないですよね。
がんになったのは、初めてでしたから。